海の外のスリルミー(韓国編)

 柿松ペアのまとめを書きたいと思いつつ、観るたびに雰囲気が変わっていてなかなかうまくまとまらないのでここで話題を変えて海外のすりるについて。第一弾はお隣韓国。

 

 韓国で「スリルミー」は、2007年の初演以降、定期的に上演されている人気演目です。

 今では、若手ミュージカル俳優の登竜門としての立ち位置を確立しつつあります。 
(以下の動画はゲネプロ的な時に撮影されたものもあります。動画はすべてお借りしています)
(2007年;初演)
 
(2010年伝説ペア(後述))
 

初演~2011年までは演出が韓国オリジナルで、毎年色々変わっていたようです。

  2012年の日本公演に、「伝説ペア」と呼ばれるチェ・ジェウンさん(私)、キム・ムヨルさん(彼)ペアがいらっしゃってから、栗山さんの演出をお気に召したのでしょう、2013年は日本版そのまま(衣装の色、舞台セット、小道具はもちろん、動線なども)の演出で上演、2014年以降は韓国のお客さんたちが日本版の演出等でちょっと違和感を覚えた部分は変更しつつ、舞台セット等はほぼそのまま、という形で上演され続けています。

 


130730 쓰릴미 2차 프레스콜 3 박영수, 임병근

(2013年) 

 


뮤지컬 '쓰릴 미' 프레스콜 Nothing like a fire[김도빈 정동화]

(2014年二期)

 


[1열중앙석] '쓰릴미 #11 My glasses - 최재웅, 김무열' 하이라이트 무대(musical thrill me presscall)

(2017年伝説ペア)

 

 基本的には日本版に近い形ですが、いくつか異なる点もあるので以下それについて特徴的なものを。 

 

・歌詞がより具体的

 言語的に日本語より音を詰め込めるので、原作と同じレベルで具体的です。

 ただ、主人公二人の名前は勿論、弟の名前まで出てくる原作とは異なり、作中で登場する具体的な人物名・地域などの名前は、日本版と同様にありません。*1

 

  日本版では「私」の特別な呼び名として「レイ」がありますが、韓国では「チャギャ(一般的に愛する人を呼ぶ際の言葉)(英語のダーリンとほぼ同義)」です。2013年に上演した際には「レイ」としたそうですが、どうやら不評だったみたいです。

 

  韓国語版の歌詞で個人的に好きなのは「99年」の日本語版では「99年」「永遠に」の部分。「死ぬとき(直訳だと「死ぬ前」)まで」「生きている間」となっており、その前の「きゅ~じゅ~きゅ~ね~ん」も「生きている間」なんです。

 


2009 Thrill Me - Life Plus 99 Years / Finale (정상윤, 김우형)

(2009年)

 

 歌詞ではありませんが、台詞だと「契約書」の「残りの夏を楽しく過ごせばいい」が、韓国語版ではもう少し具体的で、「お前の家の犬とアイスでも食べて海辺を散歩してろ(※大まかな訳)」っていうんですが、可愛くないですか。アイス食べてる「私」…  

 

・ペアシャッフル制

 韓国スリルは上演期間が結構長く、他作品と掛け持ちしている俳優さんもいらっしゃるため、固定ペアではいくらトリプル・クワトロキャストでも上演できる日に制限が出てしまいます。そのため、「パンフレット等の撮影時・ゲネプロで披露する際のメインペア」を主軸に、時々違うパートナーと組むペアシャッフル制がとられています。

 同じペアでも観る日によって「彼」「私」それぞれのキャラクターや、ペアの関係性が異なって感じられるのに、ペアまで変わったらさらに変わるという沼。それを面白いととるか、一つのペアをじっくり見たいと考えるかは個人にお任せしますが、私はこの制度、ロングランをしていくなら全然ありだと思います。あれこれ見たくなって、お財布には優しくないけど。

 

・「私」から「彼」へ

 上記のシャッフル制を受けてか、初めて出演されたときは「私」役だった方が、翌年は「彼」役になっていることもあります。

以下は役が変わった俳優さん。

・チョン・ドンファさん(2014年一期・二期「私」→2016・2017年「彼」)

・キム・ジェボムさん(2010・2011年「私」→2014年二期「彼」→2017年「私」)

・チョン・サンユンさん (2009・2011年「私」→2013年「彼」→2014年二期「私」→2017年「彼」)

 個人的にすごいと思うのは「私」「彼」をシーズンごとほぼ交互でやってきているチョン・サンユンさん。

 


Who Am I 5th Guest - 정상윤- 내안경

 

 トークライブのようなもののときに披露されたひとり「僕の眼鏡」は最高に面白いです。出だしの電話での会話が本当に二人います(一人です)。役が替わる瞬間に顔も切り替わるんですよね。

 後ろの壁の写真、よく見たらどっちもサンユンさん…(笑)

 


SMF 스타라이트 뮤지컬 페스티벌 20181021 정상윤, 정동화, 오성민 쓰릴미

 

 ミュージカルフェスティバルで同じく「私」から「彼」になったチョン・ドンファさんとスリルミーメドレー。「優しい炎」「僕の眼鏡」はドンファさん「彼」・サンユンさん「私」ですが「99年(歌の前のセリフから)」はサンユンさん「彼」・ドンファさん「私」になっていて、ものすごいカオス空間です。さっきまで「眼鏡なんか落としてない落ち着けよ」って歌ってた人が「君を僕のものにするためにわざと眼鏡を落とした」って。怖い。ミッチョッソ(いかれてる)?!

 ドンファさん、「99年」の出だしのキーが完全に「彼」モードで始まってましたが、ほんの数十秒前まで「彼」役だったらまあそうなるわな。

 


[2017] 쓰릴미 TV 6탄, 김재범&정상윤

 

 ジェボムさんとサンユンさんのペアの舞台裏。お二人とも二役経験者なので、今回はどちらがどちらを演じているか一瞬分からなくなります。

 4:18 くらい〜「隠された真実」を歌うものの声がひっくり返るジェボムさんのあとに、なめらかに歌うサンユンさんが可愛いです。でもサンユンさんはこのときは「彼」。

 


[2016] 쓰릴미 TV 2탄, 정동화&정욱진

 

 今回は「彼」役のドンファさんが、リハ中急に「私」に(笑)「私」役のウクジンさんがびっくりしています(笑)(※余談ですが、ウクジンさんは、スリルミーと同じ事件をもとに作られた演劇「Never The Sinner」ではリチャード(彼)を演じています。)

 


180207 연극 '네버 더 시너' 프레스콜 (3)

NTS。左がウクジンさん(リチャード役))

 

 でも、ご覧になって分かるように、初出演時「彼」から「私」って方はいないんですよね…柿澤さんの「私」を見たいという声もちらほら見かけるので、もし実現したらアジアすりるで初めてかもしれませんね。*2

欧米はそもそも体格差的に無理だと思うので考慮せず)

 

 韓国では初演から10周年記念であった2017年、過去のペアも登場してスリル祭りみたいな感じだったので、ぜひ日本でも、10周年を迎える2021年には色んなペアを見せてもらえたらなあと(ホリ○ロの方角を向きながら大声で)。

 

*おまけ

上に出した2013年「彼」の方がものすごく気になって、2014年に実際に観に行ったのですが、インタビュー動画に字幕をつけていたのでよければ(笑)

 


2014 TM IBG

 


2014 쓰릴미 프레스콜 정말죽이지/계약서(Nothing Like A Fire/Written Contact) 임병근 정욱진

*1:というか、「名前を登場させない」抽象的な脚本にしたのは韓国版が最初です

*2:今はドラマとかに出ていらっしゃる「カン・ハヌル」さんが「彼」→「私」をやっていらしたようですが、「彼」のときの映像・写真が見当たらず…

002 福士さん彼・成河さん私ペアの話

 元々観る予定はなかったペアでしたが、ほうぼうで「全然アプローチが違う!」という声が聞こえてきて、あまりにも気になったので、1/12の16時公演を観てきました。

 以下はそれを受けての印象と考察(妄想)です。他の回では違うかもしれません。

 

・ペアについての所感

キーワード:「主従」「見ていないようで見ている」

 第一印象は、主従がはっきりしている、パワーバランスが最初は「彼9:私1」くらいから、最後は「0:10」になっていくというか、拮抗してるというよりは一気にひっくり返ったような感じがしました。
 
 そしてあまりにもかきまつペアを見すぎていたので、福士さん「彼」が全然「私」を見てない!!!!と最初はびっくりしました。成河さん「私」はもう、「彼」をじっとり見続けているなあと感じましたが。
 でも、よくよく観察していると、「彼」は結構「私」を見ていたんですよね。見ていたというか、「私」が欲しい物を割と正確に見抜いているというか。観察眼が優れているというか。ただ、それを「私」に与えるかは別ですが。ただ、子どもを殺した後は、自分がしたことに夢中で、「私」のことは二の次になってしまったような気がします。
 
 話の本編には登場しませんが、福士さん「彼」には「私」の立ち位置となる候補は複数いたと考えています。
 でも、「彼」の要求に応えられなかったり(犯罪はおかしたくない、とか言って。あとは単純に能力が「彼」の求めることに及ばなかったり)、「彼」の仮面の下の姿を知って逃げて行ったり、あるいは理想がすぎる故に「彼」の要求以外のことをしてしまったり。そういう人たちを候補として適切じゃない、とふるいにかけていった結果、残ったのは「私」だけだったのではないかと。このペアの悲劇は「彼」についていける人間が周囲には「私」しかいない世界だったことだと思いました。
 

・成河さん私についての所感

 第一印象は「いい血筋の家庭の溺愛されているぼんぼん」親からは過剰とも言えるような愛情を注がれ、お手伝いさんや執事(いたのか分からないけど)にも「ぼっちゃま」として蝶よ花よと持ち上げられていたのでしょう。よくありがちな、甘やかしてダメになるタイプのお金持ちの家庭で育ったように見受けられました。
 
 それを一番感じたのは護送車の「刑務所の看守なんて金でどうにでもなる」というセリフ。
 今まで自分が犯した過ち(例えば子供同士のケンカみたいな些細なものでも)を自分自身の力で解決するのではなく、親がお金を出すことで解決してもらってきて、それが当然であると刷り込まれているように聞こえました。嫌味でもなんでもなく、「これが自分にとっての問題解決法だ」と思っているような。
 ハタチにもなっていない青年(少年?)が「金さえあれば権力も思い通りに出来る」って強がりでも何でもなく堂々と言えるなんて、「朝起きたら顔を洗う」レベルで身体にしみ込んでなきゃできません。
 
 でも、周りの大人は自分を持ち上げてくれているけれど、それ故に同世代からは「あいつはずるい」と思われて、疎まれていた感じがします。小学生くらいのときって、「先生のお気に入り」の子は割と高確率で嫌われていた記憶がありますが、まさにそれ。大人に好かれる子どもが必ずしも子どもに好かれるかといったらそうではない。
 
 きっと、「私」は、心の奥では、歳の近い友達が欲しかったのではないでしょうか。過剰に自分をヨイショする大人ではなく、バカなことを一緒にして、時には殴り合いのケンカをして、年相応の男の子としてふざけ合う友達。でも、それが「私」にはいなかった。ヨイショされ続けた人生だから、もしかしたら頭を下げるのが苦手(したくないのではなく、下げ方を知らないという意味で)だったのかもしれません。
 「大人は自分を過剰なまでに持ち上げる」「子ども(同世代以下の人間)は自分を仲間はずれにする」という、周囲の相反する自分への対応を、まだ小さな子どもだった 「私」が受け止めるには、いくら賢かったとはいえ幼すぎたのでしょう。
 「大人が言うように自分はすごい人間なんだ」という自尊心と、「同年代の友達と対等にふれ合いたい」という欲求に挟まれて成長していくうちに、「すごい存在である自分と対等に渡り合える、あるいはそんな自分を超越した存在」を欲していくようになったのではないかと考えます。
 

 次に感じたのは「頭がよくて、勉強が好きなオタクタイプ(一つのことに研究熱心)」。勉学の方面では教授からとても期待されていたのではなかろうかと思います。 過去シーン冒頭の鳥の観察をしている姿なんか、熱心すぎて、意外と彼のいない期間は精力的に鳥の研究に勤しんでいて、脳内が「鳥>>>>彼」になっている日も一週間に二日くらいはあったんじゃいないかと感じました。(そして絶対あのメモ帳には、鳥の特徴とかがリアルすぎて怖いスケッチとともにびっしりと書いてある。) 

 オタクタイプの性格が、鳥だけに発揮されていればよかったのに、「彼」にも向けられてしまったのが悲劇の始まりだったと思います。

 

 ぞっとしたのは、「僕はわかってる」のキスのあと、「彼」がマッチ箱を投げるシーン。 柿松ペアは、「彼」が投げたマッチ箱を「私」は(投げる側・受ける側がミスらない限り)必ずキャッチします。でも、福成ペアでは「彼」は最初から取れるように投げない。そして床に落ちた箱を、「私」はしばらくじっと見続けます。去って行った彼ではなく、投げられた箱を見つめるのです。それはもう、マッチ箱についた彼の指紋まで脳裏にスキャン出来るんじゃないかというレベル。

 

 成河さん「私」は絶対に、死ぬ時まで「彼」のことをしっかり覚えていそうです。些細なことでも忘れることなく、「あの時のあの日に彼はこう言った」って記憶していそう。

 

・福士さん彼についての所感

  結局それかい、というツッコミが聞こえそうですが、福士彼の第一印象が「とにかく顔が良い」なんですよね。「ん~この顔なら何でも許したくなるよな」と感じさせる圧倒的美しさ。演技や歌ももちろんちゃんと観て・聴いていたけれど、一番に思い出してしまうのが圧倒的顔面力なんです。

 ただ、綺麗すぎて現実味がないと感じる部分も多く。福士さん「彼」の喋り方ってちょっと平坦で、ほとんどが一定のペースで、人工的な感じがしました。でも、そういう「現実味がない」部分は「私」といるとき、そして話題が「対『私』」になっているときだけなんですよね。淡々と、ペースを変えず、イケボで喋る彼は。

  「スポーツカー」では優しいお兄さんのような話し方、弟と親父を話題にすると途端にうちに秘めていた憎しみが湧き出て強い口調になる、拘置所へぶち込まれてきたときの焦った声は、ちゃんと人間味がありました。でも、下で座り込んで自分を見ていた「私」を見つけた瞬間、「現実味のないイケボ」に声が戻って。

 あとは、「今後俺に一切近づくな」はイケボじゃなかったんです。あそこは、「彼」のなかで、「私」が「彼」にとって他人(=「私」にとっての空っぽなやつらどもと同等の扱い)となった瞬間だったのかもしれません。

(実は私が見た回は成河さんが割と大きな台詞(歌詞)ミスをして、その動揺が福士さんにも影響したのか、福士さんも台詞ミスをしたんですよ、その部分だけちょっと「素の福士さん」の声になってて、イレギュラーながら「非現実的なイケボ」と「素の声」の使い分けが分かったというか。

 

  福士さん「彼」って大きく分けて三つの層で出来ていると思っています。

 一つ目は「ソトヅラ」、これは「私」以外の人間に見せている、まさに「みんな君に夢中」になってしまうような対外的な姿。

 二つ目は「憎しみ、怒り」、これは「弟・親父」の話題で突沸するマグマのようなもの。

 三つ目は、上記二つの間に存在する「本当の姿」。二つ目の憎しみや怒りとはちょっと違って、「優等生のいい子ちゃん」ではない、人間の汚い部分、残虐性。「彼」は本当はこの部分の割合がめちゃくちゃ多い人だったのでは?と感じます。

 家庭環境が違えば、一つ目の「ソトヅラ」の良さを利用して、もしかしたらマフィアとかそういうののボスにでもなって、彼の精神衛生は平和に保たれていたのかもしれません。でも、生まれ落ちたのは常に「いいご子息」でなければいけない名家の長男。普通の人だったら、友人と陰口を叩いたり、勉強をさぼったり、どこかで息抜きになるたわいもない悪事を働くことで、このゾーンの面積を狭くできるんですが、「彼」は家の外でも中でも毒抜きをする場所がなかったのではないかと。

 このゾーンを存分にぶつけられたのが「私」だった。ぶつけてひしゃげちゃったら、使い捨てのおもちゃと同じで面白くないけれど、「私」はぶつけてもぶつけても立ち向かってくる。 ペアの所感でも書いたけれど、色んな人にそうやって「悪」の部分をぶつけまくって、それでも潰れず残ったのが「私」だけだった、そんな風に感じました。

 

・その他印象に残ったこと、感じたこと

・正面を見ない「私」

 裁判のシーンでは、「私」は基本的に左右どちらか、下を向いて話していたのが印象的でした。でも、「彼」について何か重要な話をするときは、きっ、と正面を向いて顔を上げて話すんですよね。もしかしたら、「彼」の話以外は本当のこと・本音を話していないのかもしれません。

・「弟・親父」地雷を自分で爆破しちゃう系「彼」

 「どうせ弟の誕生日だろう…!」つって柱キリっと引っ掻いてた福士さん「彼」。「♪脅迫状」でも自分で親父の話振っておきながら「世間体のためだ!!」ってブチ切れるし、自分で地雷を踏み抜いて、自分を傷付けにいっているのが気になりました。

 「ソトヅラ」や「本当の自分」が肥大していって、マグマのように流れる「憎悪」の層を圧迫してドカーンと噴出しちゃったのかな、とも思います。

・「ん?」の破壊力

 このペア特有の演出、伝家の宝刀「ん?」。

 噂には聞いていましたが生で見るとその破壊力の大きさに「『彼』ーーー!!!お前というやつはーーーー!!」と座席で叫びそうになりました。ああやって色々な人を試していたのでしょう。

 福士さん「彼」の所感で書くことだったかもしれないけど、福士さん「彼」って人の感情を自分に反射して理解するというよりは、世の中の一つの現象の一部として論理的に理解していそうなんですよね。「これこれこうすると、この人は自身のこういう事情で、こうやって怒る」みたいな。

 だからこの、「ん?」も、なんかこう、「俺がこういう反応をしたらこいつはこう動くだろう」みたいな実験の一種としてしていそうです。

 

 この二人は「亜種だけど史実っぽさがあるペア」だな〜と思いました。めっちゃ面白くて(興味深いという方面で。funnyではなくinterestingの意味で。)、スリル観ながらニヤニヤ笑ってしまったのは初めてでした。

 全然まとまりがないしレポでも何でもないただの所感まとめですが、ひとまずこの辺で。また何か思いついたら書き足していきます。

 

 

001 はじめに

まずは、松下さん、朴さん、そしてノミネート作品は違いますが、栗山先生、おめでとうございます。

ここに柿澤さんの御名前がないのは少し寂しいですが、「スリル・ミー」から二人のノミネートとなったのは、柿澤さんのお力もあってこそだと思っています。

また、舞台芸術を担当された伊藤さんも、スタッフ賞の候補として御名前が挙がっていたとのことなので、たぶん本当は作品賞に推したかったのではないでしょうか。

ただ、内容的にちょっと作品賞は…という議論がなされたのではないかと勝手に推測しています。

 

そんなおめでたい話を受けて、ブログを開設しました。

レポというよりは考察がメインのブログとなると思います。

あれこれ考えたことを書いていきますので、基本的には語尾には「〜と筆者は考える」が付いていると思ってください。

 

はてなブログ初心者のため、読み辛い部分もあるかと思いますが、よろしくお願いします。